壁打ち雑誌〔グレースケール〕

グレーゾーンに位置する発達障害の学生に向けて発信していきます

たまには神社に足を運んでみるのも酔狂

 神社に行った話でもしようかしら!

 いやいや、その日は遠出に疲れていてですね。

 まあ一人で何もなく家に帰るのもどうかと。どうせなら気の晴れそうなスポットにでも足を向けて健やかな一日として終えてみたいなーという単純な動機でした。

 

 その結果、どうかというと、好調ですよ。

 神的なものは信じすぎないようにしている私ですが、神様パワーとかは関係なく、改めて、気持ちを静めて自分の目標や願望に立ち返る、という点でとても有意義に感じます。

 

 神社ってひっそりとした佇まいですよね。それは、意図的にそういう空間を作っているのです。

 都会の限られた空間を使って、そういう場所を作るのは中々大変そうで。

 しかし、都会の喧騒から立ち離れてそういった物静かな場所に出向くのは精神衛生にもいいのです。

 

 で、私の行った神社は日吉神社といって、家康公のゆかりの地だといいます。(うろ覚え)

 検索しても出てこなかってんですよねえ、神社の知りたかった情報とか。

 (そこにいるお稲荷さんはなにー?とか沢山神棚っぽいのがあるけど何を祭っているの?とか)

 今度は昼間に行って神主さんのお話とか聞いてみたいね。

 

 ではでは。

話す人がいないと人生が詰みやすくなる理由③

③「自己肯定感を育てる栄養が不足する」

 

 ちまたで流行りの自己肯定感です。あまりによく見かけるから、ゲシュタルト崩壊してきたりしませんか?自己肯定感……自己肯定感……意味をはたしてわかっているのか。私は一時期忘れていました。

 

 自己肯定感って、自分の存在を認める姿勢なんですね。

 メンタルとか感情という言葉もまたゲシュタルトしているので「姿勢」にしました。

 また、メンタルや感情に比べて「姿勢」は自己管理しやすく感じませんか?

 

 自己肯定感を挙げるには、まず自分を許す必要がある

 自分を許すには、自分がどんな人間か知る必要がある

 根拠が無くても「わたしは偉大だ」と自信を持って言える人は、まず少ないでしょう。

 等身大の自分像を得て、はじめて人は自分を肯定できます

 

 さて、元々誰でもぼんやりと自分像は持っているものです。

 その自分像は、人と関わることでより明確になります。

 自分でどれだけ頭で考えても、一番信頼できるのは外界からのフィードバックですから。

 人と人との違いなら、人と関わることでダイレクトに知ることができます。

 

 

 しかし、いきなり人と関わることをためらう人もいるでしょう。

 自信がない人はほんとうに人と関わるのが辛いのです。

 じゃあ、ぎりぎりまで関わるハードルを落とすと、次のようになります。

 

①自分と似たようなタイプ

②人との垣根が薄く、人への警戒心が薄い人

 

 ①はわかりやすいです。人間の性質はある程度パターン化できるので、探せば必ずいます。

問題は②で、こういう人はほんとうに少ない。私の知っている中では、幼なじみと、高校の同級生、環境に恵まれたADHDの3人だけです。

 

 もうひとつ、話しをするハードルを下げる方法があります。

 人ではなく、場所を選ぶ。

 あなたが学生であれば、文化サークル(部)や学生相談室など、比較的繊細で攻撃性の低い人たちが集まるところをおすすめします。

 

 閲覧ありがとうございました!!

 

 

コミュ障同士でも関わりは続けていくべきか

 

 最近ブログでコミュニケーションについてうるさいのは自覚しております。

 心理学のタグで「人間関係しっかり築いていないと危ないよ」って感じの話を六段階にわけてくどくど語り倒しているのですから(笑)

 

 実際、コミュニケーションに不便があると、これからの時代、いっそう不利になっていきます。前々から言われていたことなんですけどね。

 みんな努力してますから、コミュニケーション能力の高い人は、コミュニケーション能力の低い人が尻込みしている間にも、どんどんスキルを上げて出世していきます。

 そして、コミュニケーション能力が高い人は高い人同士でつるみ、コミュニケーション能力が低い人はつるまないので、情報、精神衛生といった面でも格差が広がっていきます。

 

 しかし、自分がコミュニケーション能力が低いと自覚している人で、死に物狂いで自分を立て直そうとする人は少ないです。

 現代の風潮でしょうか、疲れるからという理由で1人を満喫する人が多いのですね。中にはコミュ障を直すために動く人もいますが、少数です。

 

 私自身、そういうタイプですし、そういった気持ちを理解することはできます。

 しかし、人は人と関わらないと、どんどんコミュニケーションを取る方法を忘れていきます。

 そして、人間生活の中には誰かの存在を意識することでできるようになる習慣も多く存在します。人と関わらないと、そういう習慣も忘れてできなくなっていきます。

 

 コミュ障同士だからこそ、徒党を組んでスキルアップに協力していきたいんですけど、なかなか現実は上手くいかないんですよね。

 

 コミュ障を自称する人たちの中でも程度があります。

 私が指すコミュ障は、能力や長所があるのにそれを周りに提供できなかったり、対人スキルが足りないことで人との関わりに難を抱える人たちです。

 コミュニケーションに齟齬があると、なかなか人に認められません。すると、対人関係も仕事も躓きやすくなりますから。

 

  幸い、わたしの周りには同じ考えの人が少なからずいて、色々と協力をいただいているところです。

 目の前の人間がなにを求めているか、どんな価値観の中に生きているか。心地のいい時間をすごすにはどう働きかけていけばいいか。わたしはいつも、頭が悪いなりに考えています。

 コミュ障でも、今いる友人との絡みは大事にしたいです。

 

 

 

 

話す人がいないと人生が詰みやすくなる理由②

 ちわちわ、こんにちはー。

 集団行動って辛いよねって話です。うそ。けども、前回に比べて暗い話になると思うので、気分が悪くなったらそっとブラウザを閉じてください。

 

 

②「人からの悪意にさらされやすくなる」

 

 これ、いじめの話にも通じます。

 悪意というのは個人的な感情から相手に負の感情をぶつけたり、相手が不利になるように状況を仕込んだりすることですから、それに人数がふえると立派ないじめです。いじめる本人たちは、無自覚だったりするんですけどね。

 

 中にはいじめられる方にも問題があると聞いて喜ぶ人たちもいますが、「どっちもどっちだなー」って思います。正義の鉄槌って気持ちがいいんですよ。だから、仮に言い分が正しくても気分にまかせて攻撃してる時点でやってる側のエゴなんですね。

※いじめ問題の妄言っていう話があるみたいです。書籍:いじめの構造より参考にできます。

 

 

 さて、今いるコミュニティの中で、何らかの影響力がないと、他人に攻撃されやすくなります

 攻撃されるきっかけは様々ですが、周りから信頼を置かれている人には、たとえ「誰でも怒るよね」って感じの怒りでも向けにくかったりします。

 意識的にも無意識的にも、悪者になりたくない人は多いです。嫌われたり、自分が不利になるのは辛いですから。

 

 また、人とのかかわりが少ないと、どちらにどの程度非があるのかわかりにくくなります。自分を必要以上に責めたり、「わたしは悪くない」とかたくなになったり。

 周りが敵だらけだと、よりそんな気分になりますよね。

(時々発達障害の人は「自分を悪いと思わない」という言説を見かけますが、こういうからくりも働いているのではないかと踏んでいます。)

 

 人との関わりを増やすことで、そういうのを防ぎやすくなります。

 

 コミュニティ内で仲間を増やすことは難しくても、三者の目を借りることで、また、自分の性格やあり方を肯定されていると感じるだけでも、悪意につぶされにくい心と客観的な姿勢を持つことができます。

 

 そして、①のとおり、気もまぎれて冷静になれます。

 悪意というのはターゲットを苦しませるためにあるので、

 人と関わることで相手の攻撃に対するダメージを減らしたり、

 そもそも攻撃しにくくすることで、

 ずっと生きやすくなります。

 

 重い話でした。ここまでお付き合いありがとうございました!

 

話す人がいないと人生が詰みやすくなる理由①

 

 

 こんにちは。

 最近、ブログを書くときとか、どーしても説教臭くなることに悩んでいます。「あっあかん、上から目線だ」って。自分では自覚していなかったのですが、周りの人の反応からあ・・・・・・(察し)ってなります。堂々と人に考えを伝えている人ってすごいなって思います。

 

 さて!

 

 最初の理由「助けてくれる人がいなくなる」

 

 前回箇条書きにした一番目がこれ↑です。この話については予測していらっしゃる人が大半なのではないでしょうか。

 

 助けてくれる人。「助ける」

 いろんな意味を含んでいます。

 

 細かい困りごとに手を貸してくれる。

 

 相談に乗ってくれる。

 

 自分が危ない道に走ろうとしたとき、止めにきてくれる。

 

 

 これらはどれも直接的な施しですが、間接的に人から助けられている部分もたくさんあると考えています。(ざっくり言うと、後から挙げるお話も人からの恩恵と考えられます)

 

 例えば辛いとき、人と関わることで、不思議と気がまぎれたり、こん詰まっていた思考が一度リセットされて冷静な判断ができるようになったりしたことはありませんか?

 

 心を許している人とお話すると元気になれるということは、結構あるかもしれません。

 けどもわたしは、目の前の人との会話に本気で頭を使っていると、それだけで人からの恩恵を受けることができると考えています。

 

 人間の脳は一度にたくさんのことを抱えきれないようにできています。だから、切り替えが苦手な人ほど、鬱々しているときにずっとその思考にとらわれたまま日常が上手くいかなくなるなんて事態におちいりがちです。

 しかし、人と話していると、相手との会話に意識が行き、しばらくの間、嫌なことから離れられるようになります。

 

 会話って、本来ならば、すごく思考を使う作業なので。

 

 けれども、私と同世代の人たちを見ていると、できる限り人と関わりたくない、あまり頭を使いたくないという人が多い。また、憂鬱なときは人と会いたくないという人もいます。

 これは個人のスタンスや、上手くいくやり方の違いなので、深く追求しません。

 

 

 先ほども言ったとおり、人との話は頭を使うことなので、脳のいろんな部位が鍛えられますから、気分の切り替えがしやすくなります。

 また、人と関わりたくない理由が憂鬱な気分が相手に影響を与えるからといった場合、後から「あなたのおかげで気が晴れた」という趣旨を伝えるだけで、だいぶ状況が変わるのではないかと思いました。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

 

話す人がいないと人生が詰みやすくなる理由 冒頭偏

 

 

 こんにちはー、数日ぶりです!

 さっそくブログネタが消えて詰んでいました。原因はミスと記憶力です。結構書き溜めてたんですけどね……ちきぢょう!!!

 

 今回は友達ができたら全力でしがみつけよーというお話です。なぜって、社会性は大事なので。なぜ。それは人間だから。

 

 どれだけ強がっていても、発達障害でも、人といるのがつらくても、まわりに見方がいなければ、裸で砂漠に放り投げられた赤ん坊も同然です。周りに人がいないと、結構なデメリットが多いんです。ほんとに。

裏を返せば、人嫌いでも、一緒にいて疲れても、話す人がいるだけで、かなりの財産になるんです。

 

 では、具体的にどんなデメリットがあるのってことですが、

 

①助けてくれる人がいなくなる

②人からの悪意にさらされやすくなる

③自己肯定感を育てる栄養が不足する

④極端な思考・行動に陥っても気づかなくなる

⑤脳を使う習慣が減り、生活の質が下がる

 

 箇条書きにしましたが、これらはけっこう連動していたりします。

 どうつながっているかにも需要があれば、お声かけをいただけたら掲載いたします。

 

 まずは、この上の闇の五本柱についてお話ししていきます。最後までつきあっていただけるとうれしいです。

 

 

追記

 ⑤とか、われらが発達障害、特にADHDには死活問題なんじゃ??って思うんですよね。もともと思考整理が苦手でぼーっとしたあたまがさらにごちゃーっぼーってするわけですから。

 

 とはいえ、友人をつくるにも、自分に合った人を見極める必要があります。

 真に気が合う人は、野生の勘でわかったりするものだと思っているのですが、すべての人がそうじゃないですよね。それについては、また別の機会に話していけたらいいなと思います。

 

 閲覧ありがとうございました!!

睡眠不足のときはすべてを投げ出してとりあえず寝よ

 

 ちわーこんにちは!

 私、思うんです。寝るってすごいことなのでは??って。

 

 最近、寝れない人が増えているみたいです。

 日常がつまらなくて、どこか焦燥感があって、嫌なことから逃げたくて、とかとか。理由は人それぞれだと思います。

 

 中には睡眠負債という言葉も広まり、様々な言説が普及しているという。

 

 けど、しょうじき寝たものがちだと思うんです。

 寝れるときに寝なきゃって

 

 専門的な話では、質の良い睡眠を取るには、みたいな話もでていますが、今睡眠障害を抱えている人は、夜がもう眠れないんですよね。

 それは、現時点で睡眠が足りてないわけです。

 睡眠が足りてないのに、あれこれ悩み、ネットで検索して、睡眠負債を効率よく払うために生活習慣を整えようとして、失敗、そして、自己嫌悪。

 白状します。私のことです。

 こういう人、他にいませんか?

 

 この時、私たちは、すでにまともに自己コントロールができない状態にいます。

 きっかけは様々でも、この状態は睡眠不足によって加速されていきます。

 そして、生活習慣にこだわるのは徒労に終わります。

 まさに悪循環。そう思いませんか。

 

 それなら寝れるときに寝よう、と。

 そう思いました。寝ようと思う時間に寝れないなら寝れそうなときにすっと寝ちゃったほうがずっとラクです。

 

 

 こう考えるとわかりやすいかなーって思います。

 睡眠不足で、ふらふらで、自己管理ができない現時点の私たちは睡眠初心者です。初心者は練習しないと上手くなりません。初回からプロ級のクオリティを求めるのは世の中の成り立ちをわかっていない人か、極端に完ぺき主義な人です。

 

 とりあえず寝よう。睡眠の質?知るか。

 今はとりあえず、一度寝て頭をリセットすることを優先しましょう。

 

 

 もちろん寝る・起きるの切り替えはしっかりしておきます

 寝ても寝ても頭がはっきりしない、むしろ痛いというのは、ちゃんと起きることを意識していなかったから起こることだと思っています。

 

 

 今回、説教臭くなってしまった気がします。失礼いたしました。私自身、何度か睡眠にメンタルの大半を支配されてきて、この話題には特に思い入れが強いのです。自戒をこめて。

 

 閲覧ありがとうございました!