壁打ち雑誌〔グレースケール〕

グレーゾーンに位置する発達障害の学生に向けて発信していきます

見守ることって難しくない?

 こんばんば!

 

 なにかためになることを!!  と考えていたのですが、当のわたしが対人面で葛藤を増やし、日常のパフォーマンスを崩してしまったためこれはよくないと感じました。

 だから、しばらくの間は趣味に走るつもりです。

 また気が変わるかもしれませんので、その時はお付き合いしてくださると嬉しいです。

 

 

 それと。

 このブログはきれいごとばっかですし、実践したとして成功する保証はありません。

 

「あくまでわたしは上手くいった」

「知人にしたアドバイスが上手くいったらしい」

「拾った情報を元にこうしたら上手くいくのではないかと考えた」

 

 本当に、この程度の知恵なのです。

 できたら誰か人の役に立てたらなぁと思っています。

 

 

 さて、タイトル回収。

 今日、かつての自分とよく似た人と話していて、こうも苛立つものなのかと自分でも驚きました。

 同じ傷をもつ人同士、もっとこう助け合うとか、寄り添うとか、そういうのが理想なんですよね。

 嫉妬から足をひっぱるとか、いらだって攻撃するとか論外。

 ですが、それら以上に難しいこともあるのだと感じました。

 説教くさいアドバイスを抑えて相手の話に付き合うのは、とても忍耐のいることでした。

 

 ブログは楽です。

 書くだけですから。

 特定の誰かの成長具合に合わせて出方を調節する必要がない。

 すべては受け取るもの次第。本と同じ、何かがかみ合えば成長につながる(よい悪いはあれど)。

 だから、わたしはできる限り自分の指標でよいと思ったものを書いていきたいと思いました。

 

 

 

 世の中には綺麗な理想で溢れかえっています。

 中には、人の弱さや汚さを標的に図星を突き、理想を説いて正義を撒き散らす人もいます。あれ、どういう意図なんでしょうね、さておき。

 

 あんなのは無理ですから。

 わたしはそう言いたいです。

 人間じゃん。そうそう完璧にできないって。

 きたねえ感情を持とうと必死に杭打って生きてくしかないじゃん。

 

 だから劣等感とか、本当にできる人は~などの言葉は使いたくありません。実践できることだけをやっていきます。

 

 

 

 いつかわたしも自信に酔い、薄めたカルピスみたいな文章を綴る人間になるかもしれません。それはこのブログの趣旨を失った状態、今とは全く別物なのでしょう。

 

 

 

 今のは弱音です。そろそろ丑三つ時ですね、悪い子も寝なければ寿命が消えます。

 では!

 

「付き合う人は選べ」はガチ

 

「すごい人の周りにはすごい人が寄ってくる。だめなやつにはだめなやつが寄ってくる。だから付き合う人は選べ」

 

 自己啓発でもバズりツイートでもよく言われているあれ、

 じつは社会心理学の話なんです。

 論文も存在します。

 驚きました。偉い人の言葉ではなかったんですね。

 

  そこでわたし、「付き合う人は選べ」の仕組み、トリックを勉強する機会を運よく得られたため、ここにアクセスしてくださった皆さんにむけて発信していこうと思います。まだまだ修行中の身ですゆえ、わかりにくい!!という部分があったらコメントで話しかけてくださるとうれしいなと思います。お手数おかけしますが、よろしくお願いします。

 

 さて、まず付き合う人は選べ理論の柱、根幹となる人間心理ですが――

 

 「身近な他者の存在は、わたしたちの自己概念に大きく影響する」

 

 自己概念。とは

 

 

 

自分で自分を捉えたときのイメージ、自己像のことです。

(心理学用語集際コム)

 

 そのままだった。

 こういうのってわりと漢字で察してしまう部分がありますよね、サンキュー漢よ

  

 

 自分にとって大切な人、影響力のある人のことを「重要他者」と言います。

 

 身近な他者=「重要他者」、こう考えてよいですね。

 その重要他者は、実は自己イメージだけではなく、わたしたちの行動にも影響を与えています。

 身近な兄弟が勉強を競い合ったり、友人に影響されて興味なかったことに手をだしたり。

 心当たりはありませんか?(ミーはある)

 

 これらは無意識にも起こるそうです。

 仕事仲間より親しい友人のために考えた後のほうが、無関係な仕事を依頼された時に引き受けやすくなるみたいですね。

 

 

 重要他者の持つ目標は、わたしたちに伝染することがあります。

 相手を知っていくうちに、相手の価値観や目標を自動的にコピーしてしまうんです。

 

 だから、付き合う人を選ぶのは大事なんです。

 

 

 ただこのコピー能力、発動するには条件がありまして。

 自分の中にない目標はいくら一緒にいても伝染しないそうです。

 

 漠然と、最近お金を使いすぎたなーと思ってるときに知り合いが節約生活していると興味が湧いてきますね。

 けれど、友人がインターハイに出場したいからといって「おらもやらなきゃ!」とはなりません。

 

 しかも、これは無意識による引力なので、自分を騙していても効果はありません。

「(ほんとは変わるのが怖いけど、今のままじゃ良くない。だから)○○な人になりたい」

 こういうのは精神を消耗するのでやめましょう。

 

 

 さらにこの目標伝染、相手の理想、もしくは相手自身のレベルが高いほどコピーができなくなります。相手と自分を比べて自己嫌悪したり、相手の能力に甘えてしまったり。

 その「すごい人」と釣り合いが取れずに向こうから距離を置かれるなんてケースも。

 

 

 

 こういうところが人は似てる人と集まる、と言われる所以なんだろうなーと思います。

 

 

 冒頭みたいな文面ってたとえが両極端ですよね。

 ツイッターで似たようなのがバズってるのをみたことがありますが、ツイッター民のほとんどが単語やイメージで読んでるのを考えると危険だと感じました。

 

 

 自己啓発本や心理学の読み物って事実をいかに綺麗に書くかみたいなところがあって、効果や発動条件についてはあまり記されていないんです。

 だから、やる気を出してもやる気に見合う効果が返ってこなくて??ってなる。 

 もちろん、賢い人はやみくもに「すごい人」に近づこうなんて発想はしないのだと思いますが。

(悪目立ちする大学生も、背伸びしてる人ばかりですし)

 

 

結論!

 成長するには、釣り合いの取れた友人の長所を意識的に取り入れていく。

 自分の目指す道にいない、脚をひっぱるな、停滞するだけだと感じた友人とは距離を置く。

 運よく「すごい人」と縁ができたら、ビジネスライクな関係になってそのすごさシャワーにあたりまくる。あわよくば技を盗む (崇拝しすぎないように注意) 。

 

 できることってこんな感じでしょうか?

 

 ここまで長々とお読みいただきありがとうございました。

  

#愛しのアンジー ――はみだしっ子【漫画紹介】

 

 三原順はみだしっ子を読みました。文庫版です。

 ツイッターで調べると ↑ みたいなタグがあるんですね!アンジーはけなげ。

 

 さてな。

 昔の少女マンガってとにかく濃厚なイメージがあります。バラエティの玉手箱。

 はみだしっ子はBL (JUNE?ブロマンス程度のやつだたぶん) とアダルトチルドレンものになるのではないでしょうか。

 

 

 本題、はみだしっ子は親に捨てられた子どもたちが自分を本当に愛してくれる”恋人”(ようは保護者)を探すため、旅をするというものです。

 前半はまさに星の王子様の回想、

 中盤に成長物語が入り、後半、ようやく大事にしてくれる家庭を持つことができたのですが……

 

 

 

 メイン4人、みんな見事に毒親持ち。

 愛せない苦悩・許せない苦悩については身に覚えのある人も多いはず。

 新鮮なのは、受け取れない苦悩についても言及しているところです。

 欲しかった幸せが手に入ったとして、目の前にあるそれを素直に受け取ることは思ったよりも難しい。

 それを正面から向き合っている作品は、三原順以前ではみたことがありません。

 (あったら教えていただけると嬉しいです)

 

  

 

  レトロ少女マンガは基本、展開、設定、描写のいたるところにドラマチックな情緒味があふれていますが、はみだしっ子は思考的な領域に落とし込まれて硬派な印象でした。

  

(つづく)

善意・優しさを5種類に分けてみた(本編)

 

 

 

【時間がない人は知識だけでもさらっていただけると嬉しいです】

 

shinlasです。閲覧ありがとうございます。

前回前置きということでしたが、結構アクセス数が増えていたこともあって大変申し訳ない気持ちになりました。

こちらが本編です。

 

 

 

 

①友愛型

ごく一般的な優しさ。両親、親戚や親しい友達など愛着を持っている人のためになる行動を取ったり、恩がある人にお返ししたりといったもの。人それぞれ考え方が違うため優しさがすれ違うことも。

 

 

 

②無関心型

愛の反対は云々の無関心。相手に興味がないからこそ、人の失敗や至らないところに寛容になれる。殆どの人がこのタイプのを持ち合わせている。厳密に言うと優しさではないが、「他人のことはどうでもいい」と言う人ほど優しい人扱いされているのを見て取り入れることにした。

 

 

 

③投影型

相手の状況を自分の身に置き換えて心を痛めたり、相手の陥っている現状を打破しようと働きかけたりする類のもの。同情とも言う。感受性の豊かな人にありがちで、相手の力になれない事でさらに心を痛めてしまう事も。

不健全だったり自他の区別がついていない状態の人にもありがち。

 

 

 

④親目線型

親が子供にするような、相手より一歩上から俯瞰する形で相手のあり方を思いやる優しさ。小動物のいたずらを眺めているようなもの。

 

または「嫌な人を子供だと思って接する」のと同じ原理でもある。同じ土俵に立たないことで相手に寛容な態度を示せるため、一時的な怒りを封印するとともに自分の自尊心を保つことができる。

「男だったら殴ってた」

 

 

 

⑤ゆとり型

自分の精神的・物理的な状態が健全であるため周りの人にも手を差し伸べる事ができる。「性格がいいやつは育ちもいい」って言われるあれ。

 

当然その状態を積極的に保っていられるのは本人の努力ゆえだ。

投影型の優しさでは何人か身を滅ぼした人見てきたが、ゆとり型は自分の身が安全なので小回りが利く。

 

 

 

 

 

わたしが今目指しているのは⑤、ゆとり型の優しさです。

 

 

 

 

 

ここまで付き合っていただきありがとうございます!もう少し続きます

 

shinlas

 

 

 

 

 

 

 

 

 

善意・優しさを5種類に分けてみた(前置き)

 

 

タイトルの通りです。

 

 

優しさというと、偽善とか欺瞞とかの議論が絶えない。

 

優しさってなんだ?

 

そう考える人も多いようだ。

知恵袋や掲示板などで「優しくなりたい」「性格良くなりたい」と質問する人も見かける。

 

 

けれど、一般論はどこか抽象的だったり、理想論、付け焼き刃のように感じたりはしないだろうか?って思うんです。

 

 

どうすれば優しくなれるのか。

それならば、優しさにはどんな種類のものがあるのか知って、自分に合ったアプローチを考えた方がいいのではないか?

わたしはそう考えました。

 

 

 

感情をずっと我慢して、ついには爆発して後悔したり、だれかに善意を示した後で自分を偽っていると思い悩んだり、本物の愛をもとめて苦しんだり、

 

そういうのって不毛で、心も消耗して、ひどく悲しいと思うんですよね。

 

あるかどうかがわからない理想を追って自己嫌悪する必要なんてないんじゃないかって思います。

 

 

 

 

 

 

(つづく)

 



次の記事で、5種類の優しさについてまとめます。