壁打ち雑誌〔グレースケール〕

グレーゾーンに位置する発達障害の学生に向けて発信していきます

話す人がいないと人生が詰みやすくなる理由③

③「自己肯定感を育てる栄養が不足する」

 

 ちまたで流行りの自己肯定感です。あまりによく見かけるから、ゲシュタルト崩壊してきたりしませんか?自己肯定感……自己肯定感……意味をはたしてわかっているのか。私は一時期忘れていました。

 

 自己肯定感って、自分の存在を認める姿勢なんですね。

 メンタルとか感情という言葉もまたゲシュタルトしているので「姿勢」にしました。

 また、メンタルや感情に比べて「姿勢」は自己管理しやすく感じませんか?

 

 自己肯定感を挙げるには、まず自分を許す必要がある

 自分を許すには、自分がどんな人間か知る必要がある

 根拠が無くても「わたしは偉大だ」と自信を持って言える人は、まず少ないでしょう。

 等身大の自分像を得て、はじめて人は自分を肯定できます

 

 さて、元々誰でもぼんやりと自分像は持っているものです。

 その自分像は、人と関わることでより明確になります。

 自分でどれだけ頭で考えても、一番信頼できるのは外界からのフィードバックですから。

 人と人との違いなら、人と関わることでダイレクトに知ることができます。

 

 

 しかし、いきなり人と関わることをためらう人もいるでしょう。

 自信がない人はほんとうに人と関わるのが辛いのです。

 じゃあ、ぎりぎりまで関わるハードルを落とすと、次のようになります。

 

①自分と似たようなタイプ

②人との垣根が薄く、人への警戒心が薄い人

 

 ①はわかりやすいです。人間の性質はある程度パターン化できるので、探せば必ずいます。

問題は②で、こういう人はほんとうに少ない。私の知っている中では、幼なじみと、高校の同級生、環境に恵まれたADHDの3人だけです。

 

 もうひとつ、話しをするハードルを下げる方法があります。

 人ではなく、場所を選ぶ。

 あなたが学生であれば、文化サークル(部)や学生相談室など、比較的繊細で攻撃性の低い人たちが集まるところをおすすめします。

 

 閲覧ありがとうございました!!

 

 

話す人がいないと人生が詰みやすくなる理由②

 ちわちわ、こんにちはー。

 集団行動って辛いよねって話です。うそ。けども、前回に比べて暗い話になると思うので、気分が悪くなったらそっとブラウザを閉じてください。

 

 

②「人からの悪意にさらされやすくなる」

 

 これ、いじめの話にも通じます。

 悪意というのは個人的な感情から相手に負の感情をぶつけたり、相手が不利になるように状況を仕込んだりすることですから、それに人数がふえると立派ないじめです。いじめる本人たちは、無自覚だったりするんですけどね。

 

 中にはいじめられる方にも問題があると聞いて喜ぶ人たちもいますが、「どっちもどっちだなー」って思います。正義の鉄槌って気持ちがいいんですよ。だから、仮に言い分が正しくても気分にまかせて攻撃してる時点でやってる側のエゴなんですね。

※いじめ問題の妄言っていう話があるみたいです。書籍:いじめの構造より参考にできます。

 

 

 さて、今いるコミュニティの中で、何らかの影響力がないと、他人に攻撃されやすくなります

 攻撃されるきっかけは様々ですが、周りから信頼を置かれている人には、たとえ「誰でも怒るよね」って感じの怒りでも向けにくかったりします。

 意識的にも無意識的にも、悪者になりたくない人は多いです。嫌われたり、自分が不利になるのは辛いですから。

 

 また、人とのかかわりが少ないと、どちらにどの程度非があるのかわかりにくくなります。自分を必要以上に責めたり、「わたしは悪くない」とかたくなになったり。

 周りが敵だらけだと、よりそんな気分になりますよね。

(時々発達障害の人は「自分を悪いと思わない」という言説を見かけますが、こういうからくりも働いているのではないかと踏んでいます。)

 

 人との関わりを増やすことで、そういうのを防ぎやすくなります。

 

 コミュニティ内で仲間を増やすことは難しくても、三者の目を借りることで、また、自分の性格やあり方を肯定されていると感じるだけでも、悪意につぶされにくい心と客観的な姿勢を持つことができます。

 

 そして、①のとおり、気もまぎれて冷静になれます。

 悪意というのはターゲットを苦しませるためにあるので、

 人と関わることで相手の攻撃に対するダメージを減らしたり、

 そもそも攻撃しにくくすることで、

 ずっと生きやすくなります。

 

 重い話でした。ここまでお付き合いありがとうございました!

 

話す人がいないと人生が詰みやすくなる理由①

 

 

 こんにちは。

 最近、ブログを書くときとか、どーしても説教臭くなることに悩んでいます。「あっあかん、上から目線だ」って。自分では自覚していなかったのですが、周りの人の反応からあ・・・・・・(察し)ってなります。堂々と人に考えを伝えている人ってすごいなって思います。

 

 さて!

 

 最初の理由「助けてくれる人がいなくなる」

 

 前回箇条書きにした一番目がこれ↑です。この話については予測していらっしゃる人が大半なのではないでしょうか。

 

 助けてくれる人。「助ける」

 いろんな意味を含んでいます。

 

 細かい困りごとに手を貸してくれる。

 

 相談に乗ってくれる。

 

 自分が危ない道に走ろうとしたとき、止めにきてくれる。

 

 

 これらはどれも直接的な施しですが、間接的に人から助けられている部分もたくさんあると考えています。(ざっくり言うと、後から挙げるお話も人からの恩恵と考えられます)

 

 例えば辛いとき、人と関わることで、不思議と気がまぎれたり、こん詰まっていた思考が一度リセットされて冷静な判断ができるようになったりしたことはありませんか?

 

 心を許している人とお話すると元気になれるということは、結構あるかもしれません。

 けどもわたしは、目の前の人との会話に本気で頭を使っていると、それだけで人からの恩恵を受けることができると考えています。

 

 人間の脳は一度にたくさんのことを抱えきれないようにできています。だから、切り替えが苦手な人ほど、鬱々しているときにずっとその思考にとらわれたまま日常が上手くいかなくなるなんて事態におちいりがちです。

 しかし、人と話していると、相手との会話に意識が行き、しばらくの間、嫌なことから離れられるようになります。

 

 会話って、本来ならば、すごく思考を使う作業なので。

 

 けれども、私と同世代の人たちを見ていると、できる限り人と関わりたくない、あまり頭を使いたくないという人が多い。また、憂鬱なときは人と会いたくないという人もいます。

 これは個人のスタンスや、上手くいくやり方の違いなので、深く追求しません。

 

 

 先ほども言ったとおり、人との話は頭を使うことなので、脳のいろんな部位が鍛えられますから、気分の切り替えがしやすくなります。

 また、人と関わりたくない理由が憂鬱な気分が相手に影響を与えるからといった場合、後から「あなたのおかげで気が晴れた」という趣旨を伝えるだけで、だいぶ状況が変わるのではないかと思いました。

 

ここまで読んでいただきありがとうございます!

 

 

 

 

 

 

 

話す人がいないと人生が詰みやすくなる理由 冒頭偏

 

 

 こんにちはー、数日ぶりです!

 さっそくブログネタが消えて詰んでいました。原因はミスと記憶力です。結構書き溜めてたんですけどね……ちきぢょう!!!

 

 今回は友達ができたら全力でしがみつけよーというお話です。なぜって、社会性は大事なので。なぜ。それは人間だから。

 

 どれだけ強がっていても、発達障害でも、人といるのがつらくても、まわりに見方がいなければ、裸で砂漠に放り投げられた赤ん坊も同然です。周りに人がいないと、結構なデメリットが多いんです。ほんとに。

裏を返せば、人嫌いでも、一緒にいて疲れても、話す人がいるだけで、かなりの財産になるんです。

 

 では、具体的にどんなデメリットがあるのってことですが、

 

①助けてくれる人がいなくなる

②人からの悪意にさらされやすくなる

③自己肯定感を育てる栄養が不足する

④極端な思考・行動に陥っても気づかなくなる

⑤脳を使う習慣が減り、生活の質が下がる

 

 箇条書きにしましたが、これらはけっこう連動していたりします。

 どうつながっているかにも需要があれば、お声かけをいただけたら掲載いたします。

 

 まずは、この上の闇の五本柱についてお話ししていきます。最後までつきあっていただけるとうれしいです。

 

 

追記

 ⑤とか、われらが発達障害、特にADHDには死活問題なんじゃ??って思うんですよね。もともと思考整理が苦手でぼーっとしたあたまがさらにごちゃーっぼーってするわけですから。

 

 とはいえ、友人をつくるにも、自分に合った人を見極める必要があります。

 真に気が合う人は、野生の勘でわかったりするものだと思っているのですが、すべての人がそうじゃないですよね。それについては、また別の機会に話していけたらいいなと思います。

 

 閲覧ありがとうございました!!

睡眠不足のときはすべてを投げ出してとりあえず寝よ

 

 ちわーこんにちは!

 私、思うんです。寝るってすごいことなのでは??って。

 

 最近、寝れない人が増えているみたいです。

 日常がつまらなくて、どこか焦燥感があって、嫌なことから逃げたくて、とかとか。理由は人それぞれだと思います。

 

 中には睡眠負債という言葉も広まり、様々な言説が普及しているという。

 

 けど、しょうじき寝たものがちだと思うんです。

 寝れるときに寝なきゃって

 

 専門的な話では、質の良い睡眠を取るには、みたいな話もでていますが、今睡眠障害を抱えている人は、夜がもう眠れないんですよね。

 それは、現時点で睡眠が足りてないわけです。

 睡眠が足りてないのに、あれこれ悩み、ネットで検索して、睡眠負債を効率よく払うために生活習慣を整えようとして、失敗、そして、自己嫌悪。

 白状します。私のことです。

 こういう人、他にいませんか?

 

 この時、私たちは、すでにまともに自己コントロールができない状態にいます。

 きっかけは様々でも、この状態は睡眠不足によって加速されていきます。

 そして、生活習慣にこだわるのは徒労に終わります。

 まさに悪循環。そう思いませんか。

 

 それなら寝れるときに寝よう、と。

 そう思いました。寝ようと思う時間に寝れないなら寝れそうなときにすっと寝ちゃったほうがずっとラクです。

 

 

 こう考えるとわかりやすいかなーって思います。

 睡眠不足で、ふらふらで、自己管理ができない現時点の私たちは睡眠初心者です。初心者は練習しないと上手くなりません。初回からプロ級のクオリティを求めるのは世の中の成り立ちをわかっていない人か、極端に完ぺき主義な人です。

 

 とりあえず寝よう。睡眠の質?知るか。

 今はとりあえず、一度寝て頭をリセットすることを優先しましょう。

 

 

 もちろん寝る・起きるの切り替えはしっかりしておきます

 寝ても寝ても頭がはっきりしない、むしろ痛いというのは、ちゃんと起きることを意識していなかったから起こることだと思っています。

 

 

 今回、説教臭くなってしまった気がします。失礼いたしました。私自身、何度か睡眠にメンタルの大半を支配されてきて、この話題には特に思い入れが強いのです。自戒をこめて。

 

 閲覧ありがとうございました!

○自死した発達障害の女性について――ブログの趣旨について

 こんにちは。最近話題になった事件をご存知ですか?

 

「自分の『普通』嗤われるの嫌」命絶った20歳の女性 届かなかった支援、母の苦悩 

 

www.msn.com

 

 発達障害の、いわゆるグレーゾーンに位置する女性の自殺です。

 違和感に気づき、機関に相談しても支援を受けられなかったんですね。

 彼女の残した遺書です。

 

 自分の中の「普通」がその社会の「普通」とズレていることを嗤(わら)われるのはもう嫌だった。突きつけられるのも嫌だった

 

 

 これ、私だったんじゃないかと思いましたよ、正直。年が近かったのもあり、胸が痛みました。

 診断されてなくても、いきづらさなんて軽くなるものではありません。

 

 さて、自分語りコーナー

 十八歳の私は今よりずっと無知で、世の中を良く知らなかったので、ずっと不安でいっぱいでした。

 そして、いつも失敗ばかりで辛くて。今思うとうつ病も入ってたのかなーって思います。

 ぱっと見ただの未熟な人に見られるせいか、打ち明けても困る顔をされたり、ある人には「人と同じ土俵に立ちたくないだけ」「架空の障害をでっちあげているように見える」と言われました。この件は私の悪いところがあったんですけどね。傷ついたのには変わりない。

(あ、一応数値に出ているので発達障害には変わりはありません)

 

 そんなこんなで私は生きています。

 ああ言われたことが悔しくて悔しくて。

 けれど、他の人には違うんですよね。未だにもがいて苦しんでいる人がいる。

 だからこそ、グレーゾーンに位置する発達障害の人たちのためになりたい、そのためにブログで色々なことを発信していこうと思いました。

 

 閲覧ありがとうございました

○鬱々と悩んでしまう人に――「悩む」を「考える」に変える方法

 

 

 こんにちはーお久しぶりです!

 しばらく入らなかったせいかどきどきです。久しぶりのブログ更新ですもの。文章力とか、感覚とか、いろいろと忘れてないかとか、不安です。

 

 さて、

 今回は「考える」ことについて書いてみようと思うのですが、みんな、大体かんがえてますよね?現代人。

 ちょっと病んでる人とか、ほんとうに日々を真摯に考えていますし、そうでなくてもどう生きればいいのか、とか周りに比べて自分は、とか。人の目を気にしてしまったり。自分の無能さにあきれて、全てが億劫になったりとか。ついつい気になってしまう人は多いですよね。

 頭の中は不思議なもので、気づくと悩むようにつくられています。人間ってそういう感じみたいです。

 

 今日、私のつかう「考える」はそれらとはまた違ったニュアンスを持っています。

上にあげた「考え」、悩めども悩めども変わらず、という風に、考えるほど気がめいってきませんか?

 重い話ですので、周りの人には共有しにくい。

 自分が孤独のように感じる。

 しかもネガティブオーラが伝わって、ますます人が遠ざかっていく気がする。

 前よりできることが少なくなった、そんな気がする。

 

 なんだか、いやなことを考えて鬱々しているのか、気分が沈んでいるからいやなことが浮ぶのか、だんだんわかんなくなってくる。そんな人たちに向けて、あわよくばそうでない人の力にもなる記事になれたらと思います。

 

 

 少なくともわたしは、行動に、計画に移らない「考える」はすべてためにならないと考えています。

 言葉を選ぶと、不毛。何も生み出さないわけですから。

 ときには憂鬱な気分に浸るのも粋ですが、あまりに深みにはまると抜け出せなくなり、生活をじわじわと蝕んでいきます。やりすぎると精神科のお世話になったりします。今の世は。

 

 

 対策としては、頭と生活をリンクさせる時間を増やしていくのです

 

 まずは、スケジュールをしっかり立て、できるだけその通りにこなしていく

 少しくらい効率が悪くても、そのうち慣れてくるので気にしないでやります。もやもや悩むと日常のことに手を付け辛くなりますから、まずは6秒で頭を切り替えて日常の雑務をこなします。そうすると、ほどよく身体が疲れて考えが深くなりにくくなります。

 思考のループにおちいりにくくなるんですね。

 

 そして、生産性のある「趣味」をします

 動画・漫画とか、スマホとか、コンテンツを消費する生活は人生を豊かにしますが、日常の不安を麻痺させるだけで、そのうち大きな闇にぶつかります。

 一方、少しだけ考えたり動いたりできる趣味を持つと、脳が現実にシフトして不安が小さくなります。しかも、現実的な考え方ができるようになり、不安の元であった悩みもだんだんと解決に向かいます。

 

 

 ちなみに、趣味は心から没頭できるものだといいです

 義務でやる趣味は楽しくないし、さらに自分を追い込みます。自分を成長させるためにと背伸びして選んだ”趣味”は、だんだん苦しくなるし、なにかのきっかけでできなくなったとき、深い自己嫌悪を呼びます。

 そういうのは「趣味」ではないと考えているので。

 

 

 そこで、考える習慣をつけるにもメンタル管理が必要な場合がありますが、それもまたお話したいと思います。

 

ここまで読んでいただきありがとうございました。。